2018.12.05 04:08「鼠の妖怪」 狗張子 浅井了意元禄5年(1692年)刊行 応仁(1467-1469)の年の間、京の四条のほとりに、徳田の何某と言って世に大きい商人がいた。家は富み栄えて財産は倉庫に満ちていた。 この頃は世が大いに乱れて戦争の止むときが無く、とりわけ山名と細川の両家は、権力を争い野心を起こして、たびたび戦に及んだので、洛中はこれが為に大いに騒動となって、人は皆恐れ惑い、薄い氷を踏んで深い淵にのぞむような思いをなしていた。 徳田の何某もこの乱によって、京に住居するのを憂いに思い、北山と賀茂の辺りに親族がいるのを頼って、密かに便りをつかわす。 やがて加茂周辺のとあるところに、かつて常盤が住んでいたという屋敷があったのを買い求めて、山荘となし、しばらくここに隠遁しようとする。しかしながら...
2018.12.05 03:49「人面瘡」 伽婢子 浅井了意寛文六年(江戸1661年)の刊行。全六十八話の怪談集 昔、山城の国(今の京都南部)の小椋(おぐら)と言うところの農民が、長い間体を壊した。 その病は、あるときは悪寒(さむけ)を生じて、時には発熱して瘧(おこり、今のマラリアなど)のような症状であり、又あるときは、全身がうずきひりひりと痛んで、通風のようでもあった。 いろいろの治療を施したが、どれも効果があるものは無く、半年もそのようにして経った後に、左の股(また)の上にできものができた。その形はさながら人の顔のように、目と口を持って鼻と耳は無い。 これができてからは、他の病の症状は消えたものの、ただこのできものが痛むことがはなはだしい。ためしに、このできものの口へ酒を入れてみれば、できものの顔が赤くなる...
2018.12.05 03:36「怪を話せば怪いたる」 伽婢子 浅井了意寛文六年(江戸1661年)の刊行。全六十八話の怪談集 昔の人より言い伝える不思議な話であるが、今までに聞いた奇怪な話を集めて百話(ひゃくものがたり)をすると、必ず恐ろしいことや、奇妙なことが現実に起こるという。 百物語には法式がある。月の光の暗い夜を選び、行灯(あんどう)に火をともし、其の行灯には青い紙を貼りつけて、百本の灯心(蝋燭のしん)に火をつける。一つの物語をするごとに、灯心を一本づつとっていけば、話すうちに室内は段々と暗くなり、青い紙の色は移り変わって、なんとなく気味が悪くなる。さらに話を語り続ければ、必ず奇妙な出来事や恐ろしい事が起こるという。 かつて、下京(しもぎょう)の辺りに住む者が、五人集まり、百物語でもしてみようではないかと試したこと...
2018.12.05 03:33「蛇、瘤の中より出づ」 伽婢子 浅井了意寛文六年(江戸1661年)の刊行。全六十八話の怪談集河内の国(今の大阪東部)、錦郡(にしごり)に住む農民の妻のうなじに瘤(こぶ)ができた。 初めは蓮の種ほどの大きさであったが、段々と鶏の卵ほどにもなって、後にはついに三四升(6lくらい)もいれる壷くらいになる。そうして三升から再び少し縮んで2升の瓶(びん)くらいとなった。瘤は甚だ重く、一人では立って行くことさえ叶わないので、もし立ち上がろうと思うときには、かの瘤を人に抱えさせて行く。しかし痛みはまるでない。時々はその瘤の中から、笛や三味線の音楽が聞こえてきて、これを聞けば心が慰むようである。 その後瘤の外側に、針の先ばかりの細く小さい穴が数千あいて、天気が曇り空に雨が降ろうとするときには、穴の先から白い...
2018.12.05 03:28「大石相い戦う」 伽婢子 浅井了意寛文六年(江戸1661年)の刊行。全六十八話の怪談集 越州春日山の城というのは、長尾謙信(ながうけんしん)の居住なされていたところである。 謙信が最早死去なされるという日の前の話であるが、城のうちに大きな石が二つある。ある日の暮れにかの二つの石が、躍り上がり躍り上がり何度も動いたので、人々は皆奇妙に思っていた。するとたちまちに一箇所に転がり寄って、どんとぶつかり合い、また立ち退いては躍り上がり、再び打ち合う。これは大きな石のことである。なぜこのようなことが起こるとも知りがたい。 ただただ奇怪なことに思ったが、人はみなどう取り計らうすべもない。夜過ぎる頃まで戦って、その石が欠け砕けて散り飛ぶことは霰がふるようである。ついに二つの石は、もろともに砕けてやが...
2018.12.05 03:24「蝨瘤」 伽婢子 浅井了意 寛文六年(江戸1661年)の刊行。全六十八話の怪談集日向の国の諸県(もろかた)というところに商人がいた。 ある日から背中に手のひらばかりの大きさで、熱を持って燃えるよう所が生じた。二十日ばかりたってから熱が冷めて、それからは痒いこと限りない。段々と腫れ上がって盆をうつ伏せにしたようである。大きく腫れるにしたがって、痛みは少しも無く、ただ痒いことたえがたい。これゆえに食事は日に日に進まなくなり、やせ衰えるまま骨と皮とになった。あますところなく諸々の医者に見せ、内科外科が手を尽くして、薬を飲ましたり外から塗り薬を貼ったりしたが、少しも効果が無い。 そのころ南蛮の商人船に、名医として有名なチャクテルスというものが渡ってきて、この病を見て言うには、 「これは...