「徳富蘇峰の人物とは?」その3 大町桂月

 明治から昭和にかけてのジャーナリスト、文章家としての徳富蘇峰に対する批判。




 大正11年発行の大町桂月著作集、「筆のしづく」より。

 原文は文語体。






 一面より言えば、蘇峰は文章家である。


 当時ひとり無名の青年ながら「将来の日本」を著し、「国民之友」を発行し、その清新な文章は実に天下を風靡して、明治の間に一つの時代をなした。

 明治の文章家の中で、第一の才子というべきだろう。



 私の様な者は、蘇峰の文章に感化された一人である。この点は、私は飽くまでも感謝せざるを得ない。

 その後およそ20年、蘇峰は一日も筆を絶っていない。思想の豊富で、文章はますます伸びていく。一代の文章家と言うべきである。



 文章上の恩は恩として、ここに蘇峰の文章について私が感じる所を言えば、蘇峰が重宝である新聞記者であるが如く、その文章もやはり重宝な文章である。


 1編が終わるまでも、すらすら面白く読めるが、さて読み終わっては、何も残らない。威圧する強みもなければ、人を引き付ける温かみもない。

 文章家は文章家であるけれども、文章の大家とはいうべきではない。



 世の中には、蘇峰を見るような型の人も少なくない。

 事務を執って、世の中に生活するのに、至極重宝である。間違が無い。俗にいわゆる喰いっぱぐれが無い。


 これを官吏にあてはめれば、判任官以上である。勅任官の器量は無い。まず奏任官として、格好の人材である。


 その弟の蘆花(徳富蘆花)は、蘇峰ほどの俗才は無い。勅任、奏任、判任以外に抜き出ている。その文は天下の逸品である。

 蘇峰は、奏任官的の所から抜き出ること無いだろう。



 思うに蘇峰は、才の人である。才の為に縛られて、大きくもなれない。

 今のような具合で行けば、一生の間にどれ程多くの書を読むとも、どれ程多く文をつくるとも、いわゆる垢抜けがしないのである。


 その人の質は、ただ間に合う人である、常人以上でないので無かろうか。その文は、工場物である、床の間に置くべき品柄ではないのである。


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