「徳富蘇峰の人物とは?」その2 大町桂月

 徳富蘇峰のエピソード、また大町桂月が「カラス」と批判すること。



 大正11年発行の大町桂月著作集、「筆のしづく」より。

 原文は文語体。




 聞く、蘇峰は、日曜ごとに必ず伊豆の別荘に赴くのだと。


 この一事をもって想像するに、蘇峰は規則正しく、よく己にかつ事が出来る人である。世の中の事務を執るためには、必要な性格である。

 そして、生きた「新聞機械」たるを得るのである。



 聞く、蘇峰がその当時、御用新聞記者だった時に、毎朝、雨が降ろうが、火が降ろうが、御用があろうがあるまいが、必ず元老の玄関に参上したのだと。

 

 これは日曜毎に逗子に赴く者であれば、そうあるべくもあろう事である。


 三太夫(・けらいの様な意味合い)たるものは、必ずこの通りで無くてはならないで有ろう。

 御用記者は、三太夫では無い。



 いやしくも、自分の政治に対する見方が、時の政府と合致する所があるならば、筆を採って政府を助け、反対派をおさえて、そうして我が政見を貫いて、政府に自分の思うところの信条を行わせる。


 名前は御用記者と言うとも、実際は依然として「布衣の宰相」である。

 たとい実際の宰相の身の上では無くとも、その外にあるものである。その下には無いのである。



 これに反して、ただ政府の意思を迎えて、政府の申し訳のみをなせば、それこそ新の御用記者。

 「布衣の宰相」は下って三太夫となる。


 殿様のおっしゃられる事は何事も、ご無理、ごもっとも、謹んで承りましょうと忠義の様な顔をするのが、いわゆる「三太夫根性」であって、一片の気骨がある男子が許す事のできない所である。


 私は蘇峰の御用記者としての態度は、前者だったのか、後者だったのか知らない。



 先日、万朝報の中で、清浦家の人間の素行が荒れ、し放題である事を記していたが、五月十六日の同新聞に書かれている所によれば、


 「清浦家に関する当社の記事に就き、清浦氏と同郷の関係ある徳富蘇峰が、当社に来て語ったところによれば、清浦家の家庭に、”紊乱(・秩序の乱れ)”という語に相当する如き事実は認めるに至らないとの事。


  清浦家は他者への同情に富む、品行方正である。婦人と琴瑟相和す(・夫婦仲円満)。婦人は賢良の聞こえがある。人並みよりも子を愛する方で、夜の帰りの遅い時等は、深夜に更けるまでも静かに座って待つ程である。


 そうすると子に甘すぎると、あるいは言うことが出来るかもしれないが、最も円満である家庭で有る事は、十分に認められる。」と。



 もしこれを事実だとするのであれば、蘇峰のよく動く舌は、清浦家を弁護しようとして、清浦家の非を暴いたものである。


 人並みよりも子を愛する。いな、子供に甘すぎる。このような女は、決して賢良と言うべきでない。

 道楽息子は、必ずこのような母親を有するのである。


 万朝報に記したような、清浦家の人達がし放題であるのは、全くこの婦人の致す所でなければなんであろう。



 ようするに、この蘇峰の弁護を事実だとするのであれば、蘇峰は万朝報の記事に証明を与えたに他ならないのである。


 このような人に御用記者となられては、政府はありがた迷惑の思いをなすこと、なお清浦家の如くになってしまうだろう。




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