江戸時代の人間が見た、アイヌの人の姿。
蝦夷日記
著者、児島紀成
原文は文語体
文化五年(1820年代)卯月三日、船出する。
目覚めて見れば、尻屋崎(しりやざき)も過ぎた。
四日、エリモの沖に来た。鯨が多い。ここにもあそこにも、背中をもたげて潮を吹く。
この島では鯨を捕らない。だからであろう、船近くに出てきても、船人も驚かない。
八日、朝霧立ち込める山を見れば、雪がとても深く、風は冬よりも寒くて、波が非常に高い。人々は起き上がりもしない。
九日、夜が明けて、風は止んだものの、舟はなおも揺れる。食事も取らずに皆寝る。病に伏した様な人よりも、様子が劣っている。
十日、島人が魚をとろうと、小舟をこぎ出して来た。その姿かたちを見れば、人ではありながら怪しいこと限りない。
頭はおどろの如く乱れ、眉の分け目もなくて、顔は恐ろしげである上、さか髭がとても汚く生えて、ただ目ばかりが見えている。
手も足も熊のような毛が生えていて、木の皮の衣を着ているものもある。獣の皮を着ているものもある。
物を話すのさえ、臭くて打ち向かいがたい。
十九日、ナイホなどと言う山々で真っ白であるのを右に見て、北へのみ進み行く。
かなり遥かに高い山が見える。カムシヤスコロと言う。この山の麓、フレリと言う所で舟は止まった。
海岸の景色は言葉に述べ難く、筆にも書くことが出来ない。
土を踏むことが嬉しいので、船酔いによろよろとしつつ、皆急いで上る。
宿るのは山間の奥まった所に、形ばかり造りなした、わびしい草の庵である。
島人達が住む家は、道のあちらこちらに、非常に高く茂った草の中にあって、あわれなる様子は言うまでもない。
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