「江戸時代の人が尋ねたアイヌの話」その2 小島紀成


江戸時代の人間が見た、択捉島の様子と始めてエトロフへ渡った人の話。

蝦夷日記

著者、児島紀成

原文は文語体



 エトロ島の周りは二百五十里と言うとも、東西に流れてる島であるので、南北はとても狭い。物凄い岩山で、樹木が生い茂っているので、通行する道が無い。

 海辺を伝って、ところどころに住んでいる島人の家は僅かで、岸が高く波が荒いので、港に四つあるばかりである。


 七十里ばかり東に「ラッコ島」というのがある。夏、ラッコという水獣を捕りに行くとの事。寒いので木も生い立たず。住む人も無い。


 二十八日、追戸のあたりを見に行こうと出る。海辺から険しい道を分け上って見れば、海の眺めも面白いところがある。道具を背負う島人は、谷におりて水を飲み、草をとって食う。

 この島の人の常で、食を持っていかないのである。


 果てもない海の上ではあるけれど、ふるさとの空はあそこだろう等と言って、人々は眺めていた。

 帰り道に同じところへ行くのも残念だ。水があれば渡ろう、峰があれば登ろう。熊が多い島であるので、出てきたら玉で打ってしまおうと、茂った萱原を踏み分けて越え来てみれば、草も木もみな花盛りで、ホトトギスも鳴き、鶯もさえずり、四季が一つに来た心地がする。


 今宵、この島の船を全て扱う「高田屋それがし」と言うものが、箱館(函館)より来た。

 船を引き入れる騒ぎも聞こえなかったが、と聞いて見たところ、つくりの怪しい小舟を持って、優れた水夫二十人を選んで、潮にも風にもかかわらず、波の中をもくぐって、はるばる遠い海上を、何ともなく漕ぎ渡って来たと言う。

 なんと恐ろしい技であろうか。波路を陸よりもたやすく思いなせる男である。


 この島へ始めて渡ったのも、この男の功である。それで、この島へ渡る舟と言えば、皆彼に定まったとの事。






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