「江戸の昔、恥の心の話」 熊澤伯継

江戸初期の頃。子供の人見知りは恥を知る心。



熊沢 蕃山   くまざわ ばんざん

元和5年(1619年) - 元禄4年8月17日(1691年9月9日)

江戸時代初期の陽明学者


 とある人が言うには、今の幼い子供は、大体才知や芸能が秀でている者が多い。それだというのに、世間一般の人が次第に劣って行っているのは、心得がたいことであると。


 それに答えて、確かにそうであると。

 田に植える稲も、晩稲(おしね・成熟が遅い稲)ほど取れる実も多い。今時の子供の利発であるのは、稲の早稲(わさ)の様である。大人になるほど、知恵の取り実が少ない。

 

 その上、平凡な人の利発と言うものは、おおかた鈍い人なものである。

 子供が爪を加えて顔を赤くし、人前で物を言い出せないというのは、才知の明らかで、「恥の心」があるゆえである。


 

 人に存するものは、恥の心より良いものはない。

 恥の心が明らかであるものは、学問をしてみれば君子の地位にも至り、たとえ無学でも平生は人柄が良く、いくさの中では武勇の働きがあるものである。


 昔の子供達には、爪をくわえる者が多かったゆえに、成人するに従って、ひとかどの役に立つものがあった。


 今の子供は人見知りをしない。人前でも利発にものを言って、立ち振る舞いもよい。これ故に成人するほど、用いる人として選ぶべき人が少ないのである。


 人の親である者が徳を知らなければ、恥の心ある子供をしかりおどして恥の心を亡くしてしまい、恥の心無い子供をほめ愛して、いよいよ誇らせてしまう。


 才能は日々に衰えて、わがままは日々に進む。悲しむべきである。








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