「うなぎの蒲焼の語源の説」骨董集 山東京伝

鰻の蒲焼の語源とは?

骨董集(文化10年(1813))より。原文文語体の現代語訳。



山東 京伝(さんとう きょうでん)

宝暦11年8月15日(1761年9月13日) - 文化13年9月7日(1816年10月27日)

江戸時代後期の浮世絵師、戯作者



 鰻鱺の樺焼(うなぎのかばやき)は、その焼いた色が赤黒くて、樺の木の皮の色に似ているから名づけられたと様々の本に言っているのは、考えが足りない説である。


 「新猿楽記」という本の中に、香疾大根(かばやきだいこん)という名前が見えている。これは、こうばしき香りのはやく人の鼻に入るの意味合いであろうから、鰻の香疾(うなぎのかばやき)は良く当てはまっている名前である。


 鰻を焼いたときほど香りがはやいものは、また他にも無いだろう。香疾(かばやき)の読み方に樺焼(かばやき)の漢字をあてて、さて樺の木の皮に似ているという説を後で作ったのだろう。


 「はおり」に羽織の漢字をあてて、さまざま考えが足りない説を述べているような類だろう。


 「新猿楽記」は、藤原明衡の著作である。後三條院東宮の時代には、藤原明衡が白髪であると言った和歌があるので、今の文化十年からおよそ七百五六十年前の人である。その古いことを見て欲しい。



 今女の言葉に、豆腐を「おかべ」というのも古い言葉である。


 「饅頭屋節用」という文亀(西暦1500年程)の本の内、衣食の部に「白壁(ハクヘキ / 豆腐)」このように書かれているのが見える。


 また「海人藻芥」という本には、「飯は供御(くご)、酒は九獻 (くこん)、餅はかちん、味噌をばむし、塩はしろもの、豆腐はかべ、そうめんはほそもの、松茸はまつ、鯉はこもじ、鮒はふもじ 云々」と見えるので、今言う大和言葉と言うものは、およそ三百二三十年前に、既にとなえていた異名である。

 「海人藻芥」は長享二年の奥書があるので、文亀より少し前のものである。





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