明治中ごろ、大町桂月が出雲に旅をして見聞きした事。言葉の訛りがすごかったこと。紀行文。
大町 桂月(おおまち けいげつ)
1869年3月6日(明治2年1月24日)- 1925年(大正14年)6月10日
文章家、美文家。
「出雲雑感」より、明治33年の話。
出雲に入ってまず驚かされるのは、言語が異様な事である。古い国であるので、言語もきっと優雅であるだろうと予想していたのとはまるで反対で、あたかも外国へ行った心地がする。
教育が無いものと対話するためには、通訳を必要とするぐらいである。中学校の生徒でも、小学校の教員でも、50音を正しく発音するものが少ない。
ある人が言うには、出雲にては17音にて事足ると。それは或いはそうだろう。
「イの段」と「エの段」と混同していて、「チ」と「ツ」、「ヒ」と「フ」、「リ」と「ル」、「ウ」と「ヲ」、「シ」と「ス」、「ニ」と「ヌ」等の区別が付かない。
人を「ふと」と言い、鶴を「ちり」と言うなどすこぶる奇怪である。左の俗謡をもって、発音の不完全である一端を伺ってみて欲しい。
わたしやをんすうふらたのをまれ
(私や雲州平田の生まれ)
ずうるぬずうるさんずうる
(十里二十里三十里)
ふがすのはてからぬすのはてまでふくするふッぱッて
(東の果てから西の果てまで引き摺り引っ張って)
いまさらふまとてふまとられうものか
(いまさら暇とて暇とられようものか)
ふろいせかいにぬすふとり
(広い世界にぬし一人)
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