江戸時代、伊勢風呂と銭湯の話。付ふろふき大根の語源と由来の説。
山東 京伝(さんとう きょうでん)
江戸時代後期の浮世絵師、戯作者
宝暦11年8月15日(1761年9月13日) - 文化13年9月7日(1816年10月27日)
原文は文語文、現代語訳。
「本朝諸士百家記(宝永九年印刷)」の第三巻の中に、婿入りのため、舅の家で風呂を用意してもてなすくだりに、
「広蓋(洋服入れ)の中へ、ゆかた、風呂敷、かき替えの下帯を用意して、上手な吹き手を二人連れ立って風呂へ入れさせる、うんぬん....」
「自笑内証鑑(宝永七年印刷)」の第五巻の中の、大阪道頓堀の風呂屋のことを言うくだりに、
「この風呂へ日が暮れる頃から来て、吹いて吹かれて、ざっと上がり場に座って、しかじか....」
などと書かれているのが見えるので、宝永の頃まで風呂を吹くという事があったのだろう。
伊勢の人の話を聞いた所、「風呂を吹く」というのは、空風呂(蒸し風呂)で行うことである。これを伊勢小風呂という。
垢をする役目の者が、風呂へ入る者の体へ息を吹きかけて垢をするのである。そうすれば息を吹きかけた所にうるおいが出て、垢が良く落ちるのである。口で拍子をとって、息を吹きかけつつ垢をするのに上手・下手があって、興がある事である。
それゆえ、垢をかく者を呼んで「風呂吹」という。今でも伊勢にはこのことがあると語っている。
この話は「甲陽軍艦」に伊勢風呂と書いてあるのに良く合致している。それであれば、つまり伊勢の風呂吹きは古くからある事である。
かの「そぞろ物語」で言っていたのも、銭湯の名前はありながら、今の湯風呂では無くて空風呂(蒸し風呂)であるのであろう。
かれこれを参考してみると、昔の風呂は多くは空風呂であったのであろう。ふんどしをして入るのにも、空風呂は都合が良いだろう。「内証鑑」に、「ちらしを汲む」ということがある。かかり湯の事をちらしと言っているのである。
さて、大根を熱く蒸して煙の立つ程になったのを、大根の風呂吹きというのも、息を吹きかけて食らう様が、かの風呂吹きに似てるからなのだろう。
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