白石業を習う その1  新井君美


新井 白石(あらい はくせき)

江戸時代中期の旗本・政治家・朱子学者

明暦3年2月10日(1657年3月24日) - 享保10年5月19日(1725年6月29日)


新井白石が、厳しい学課を立てて文字を習った、子供の頃のことを思い出して書いたお話。

原文は文語体の和文。





 私が幼かった頃、「上野物語」という本があった。


 三歳の春の頃だったと思う。炬燵に足をさして腹ばいになり、その本を見ながら紙と筆をとって、すかし写しているのを、母でいらっしゃった人が見なさった。


 そして十の内に一つ二つは正しく書かれた文字もあって、父に見せた所、さらに父の友達である人が来て見た時を始めにして、周りの人々も聞き伝えて、その写した物達を取り伝えることになった。


 この後は日頃の遊びとして、筆をとって物を書くことのみを教えられたので、自然と日々に文字を見知る様になったけれど、物を読む為の師や友となる様な人が居なかったので、出回っている類のものを読み習うだけであった。


 六歳の夏の頃、上松という人が「七言絶句」の漢詩を一首教えてくれて、その意味を説き聞かせられた。

 やがて声に出して詠むようになったので、さらに三首まで教えられたのを、人にも講じ聞かせた。


 八歳の秋、手習う事を教えられた。

 課目を立てられて、日が出ている内には行書・草書三千字を、夜に入ってからは一千字を限って書き出すように、と命ぜられた。


 冬に至ると、日が短くなってしまって、課目もまだ終わらないのに、日が暮れようとする事が度々で、西向きにある竹縁の上に机を持ち出して、書き終えたこともあった。


 また夜に入って手習いをする際、眠気をもよおして耐え難いので、自分へつけられていた人とこっそり謀って、水二桶づつその竹縁に汲み置かせておいた。


 ひどく眠りを催せば、服を脱ぎ捨ててまず一桶の水をかぶって、服を着て手習いをする。始めは冷たいので目が覚める心地がするが、しばらく時間が経つと、体が温かくなって、またまた眠くなる。その時はまた水をかぶって、さっきのようにする。


 二回水にかかる程になれば、大体は学課も終わっていた。これは私が九歳の秋冬の間のことで有った。

 こういうようにしていた間に、この頃よりは私の父が人へ贈られた文章を、型の様には書く事が出来た。





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