矢野 龍渓(やの りゅうけい)
1851年1月2日(嘉永3年12月1日) - 1931年(昭和6年)6月18日)
幕末の藩士、著作家、ジャーナリスト、政治家。
明治39年10月発行 中学国文教科書巻八より
古い川柳の内おもしろい趣向のあるものとその意味の解説
今年こそ大晦日には早く仕事をしまいにしてゆるりと年を取ってやろうと、
どの家でも大晦日にはその心がけをするけれども、何につけさあ一年の終わりの日として、
ようやく外向けの用事を終えてしまえば、家の内の用事があり、
元日の支度がとうとう夜に及んで、
時には大騒ぎのうちに去年の境目である12時の時計は鳴って、
去年の尻のことをしながら早くも新年に入るようなたぐいは、
どこの家でも珍しくないように見える。
古い川柳にも、
「据風呂に 下女がいるうち 春になり」
確かに家内の総仕舞いの殿として下女が風呂に入ることには、はやくも12時を過ぎていることと見えた。
昔も今も変わらないものは、これらの有様である。
「むべ山の 中に嵐の 年始客」
(山の中の家では風の強い日、がたがたと嵐が戸をたたく)
これも実際ありそうなことである。
また言うには、
「歌がるた 人という字に 手が五つ」
これらも昔の句ではありながら、今も同様に、かるたの句の頭文字の「人」というやつには、五つどころか、十も一緒に手が出るような感じである。
また言うには、
「一日の 御慶炬燵へ 取り寄せる」
(一日の お祝こたつへ 取り寄せる)
だんな様が帰宅の後、夜になって「どれどれ新年の名詞を持って来なさい。」と言う感じは、どの家も似たようなものである。
ま言うには、
「あがるなど 言わぬばかりの 帳を出し」
(挨拶に来た事を書く帳簿を 相手がさっさと出してきて)
これは今の若い人には分からないかもしれないが、今になれば左のように言うと良いだろう。
「あがるなど いわぬばかりの 箱を出し」
これは名刺入れの箱と思って欲しい。
おおよそ川柳には突如として出て来たり、はじめからその題名を言わないところに妙趣がある。
「芭蕉は飛び込み 道風は飛び上がり」
(参考:芭蕉の "古池やかわず飛び込む 水の音" の句 また、小野道風と蛙の伝説)
もしこの句の前に題名を「蛙」と書いてしまったらば、興味が薄くなるだろう。その出し抜けであるところがおもしろい。
「釣れますか などと文王 そばへ寄り」
(中国周の時代、太公望が釣りをしていると文王が声をかけ召抱えた伝説があります)
この句も、その突如として出て来るところに妙がある。
「釣りなぞも してみる馬鹿な 軍学者」
常に文王が来るとも限らない、太公望気取りの軍学者も困ったものである。
「その暗さ 隼太桜に 突き当たり」
(高倉天皇の時代に、源頼政が鵺という生き物を退治するという伝説があります。これは紫宸殿でおきた出来ことで、左近の桜といって桜が植えてありました。また鵺は黒煙を吐くという話があり、そんなこともあったろうとの滑稽)
まさか暗いからといって、紫宸殿の大庭の桜に突き当たるほどにもあるまいけれど、何かとはなしにおもしろい。
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