佐久間 象山(さくま しょうざん・ぞうざん)
文化8年2月28日(1811年3月22日)-元治元年7月11日(1864年8月12日)
幕末の松代藩士、兵学者・朱子学者・思想家。
明治三十九年発行光風館書店の国文教科書巻八より
佐久間象山の思想
(原文)
予年二十以後、乃チ知ル、匹夫モ一国ニ繋ガルアルヲ。三十以後、乃チ知ル、天下ニ繋ルアルヲ。四十以後、乃チ知ル、五世界ニ繋ガルアルヲ。
日キ一タビ移レバ千載再来ノ今ナシ。形神既ニ離ルレバ万古再生ノ我ナシ。学芸事業、豈悠悠タルベケンヤ。
人ノ己ヲ誉ムル、己ニオイテ何ヲカ加ヘン。若シ誉ニ因リテ自ラ怠ラバ、則チ反リテ損セン。人ノ己ヲ毀ル、己ニオイテ何ヲカ損セン。若シ毀ニヨリテ自ラ強ウセバ、則チ反リテ益セン。
身ニ規矩ヲ行ヘバ則チ厳ナラザルベカラズ、コレ己ヲ治ムル方ナリ。己ヲ治ルハ即チ人ヲ治ムル所以。人ニ規矩ヲ待テバ即チ厳ニ過グベカラズ、コレ人ヲ安ンズル道ナリ。人ヲ安ンズルハ即チ自ラ安ンズル所以。
書ヲ読ミ、学ヲ講ジ、徒ニ空言ヲナシ、当時ノ務ニ及バザレバ、清談事ヲ廃スルト一間ノミ。
(現代文訳)
私は年20歳になってから、小さき身も一国に繋がる物ある事をすなわち知った。30以後は、天下に繋がる物ある事を知った。40以後は、五世界に繋がる物ある事をすなわち知ったのである。
日がひとたび移れば、千載に渡って再来する「今」はない。形と精神が既に離れてしまえば、万古に再生する我は無い。学芸や事業、どうして悠々としていられるべきだろうか。
人が己を褒める事、己において何を加えよう。もしその誉れによって自ら怠るならば、すなわち却って損となる。人の己をそしる事、己において何をか損なおう。もしそしりによって自ら強くするならば、すなわち却って益となる。
身に規律を行うならば、すなわち厳しくなさざるべきでない、これは己を治める方法である。己を治めるのはすなわち人を治めるゆえんである。
人に規律を願うには、すなわち厳しきに過ぎるべきでない、これは人を安んずる道である。人を安んずるはすなわち自ら安んずるゆえんである。
書を読み、学を講じて、ゆえもなく空言をなして今ある任務に及ばなければ、清談が物事を廃したとの事である。
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