昭和4年発行 書翰文講話及文範より夏目漱石が書いた手紙
旧かな旧字をあらためています。
「金を貸すことを断る手紙」
御手紙拝見。
折角だけれども今貸してあげる金はない。家賃なんか構やしないから放って置き給え。僕の親類に不幸があってそれの葬式其他(そのた)の費用を少し弁じてやった。今は内には何にもない。僕の紙入(かみいれ、財布)にあれば上げるが夫(それ)もからだ。
君の原稿を本屋が延ばす如く君も家賃を延ばし給え。愚図愚図云(い)ったら、取れた時上げるより外に致し方がありませんと取り合わずに置き給え。
君が悪いのぢゃないから構わんぢゃないか。草草(そうそう)。
「病気見舞の手紙」
あなたは病気で寝ているそうですね。ちっとも知らなかった。痛いでしょう。然し内臓の病気よりはまだ楽かも知れない、辛棒(抱)なさい。本が読みたいというから何か送ってあげようかと思うが、何を上げていいか分らない。註文があるなら買って送ってあげましょう。どんな種類の本ですか云(い)って御よこしなさい。無闇に高い本はいけません。以上。
「病気見舞いの礼状 子供達へ」
八月十一日
けさお前達から呉(く)れた手紙を読みました。三人とも御父さまのことを心ぱいして呉れて嬉しく思います。
此間(このあいだ)はわざわざ修善寺迄見舞に来てくれて有難う。びょう気で口がきけなかったからお前達の顔をみた丈(だけ)です。
此頃は大分よくなりました。今に東京へ帰ったらみんなであそびましょう。
御母さま(おかあさま)も丈夫でここに御出(おいで)です。
るすのうちはおとなしくして御祖母さまの云うことをきかなくてはいけません。
三人とも学校がはじまったらべんきょうするんですよ。
御父さまは此手紙をあうむけにねていて万年ふででかきました。
からだがつかれて長い御返事が書けません。
お祖母さまや、おふうさんや、お梅さんや清によろしく。
今ここに野上さんと小宮さんが来ています。
東京へついでのあった時修善寺の御見やげをみんなに送ってあげます。
左様なら。
「博士の学位を断る手紙」
拝啓。昨二十日夜十時頃、私留守宅へ(私は目下表記の処に入院中)本日午前十時学位を授与するから出頭しろという御通知が参ったそうであります。留守宅のものは、今朝電話で主人は病気で出頭しかねる旨を御答えして置いたと申して参りました。
学位授与と申すと、二三日前の新聞で承知した通り、博士会で小生を博士に推薦されたに就いて右博士の称号を小生に授与になる事かと存じます。然るところ小生は、今日迄ただの夏目なにがしにて世を渡って参りました。是れから先も矢張(やはり)ただの夏目なにがしで暮したい希望を持って居ります。随って博士の学位を頂きたくないのであります。此の際、御迷惑を掛けたり、御面倒を願ったりするのは不本意でありますが、右の次第故、学位授与の儀は御辞退致したいと思います。宜しく御取計(おとりはか)らいを願います。
敬具。
二月二十一日夜
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