毛利元就 三本の矢の意味


毛利 元就(もうり もとなり) 明応6年3月14日(1497年4月16日)-元亀2年6月14日(1571年7月6日) 室町時代後期から戦国時代にかけての安芸国人領主で、後の戦国大名。


名家小体文範 渡辺碩也編纂  明治19年出版の和本より

毛利元就 三本の矢についてのエピソード



 元亀二年(げんき、室町、1571年)の六月、芸候(毛利)元就は病に倒れて今に死のうとしていた。

 ある日、自身の子供を前にそろえて、矢を幾本か持ってこさせ、その一本一本を子供達に見立てて、自分の手を使って一束にまとめた。そうして力を込めて是を折ろうとしたが、断つことは出来ない。

 それから、そのうちの一本を引き抜いて試せば、思うに任せて折れ、また断つことができた。

 是を見せて元就が言うには、

 「兄弟は、まさに此の矢のようにすべきである。互いにむつまじく、頼りあえば事を成すことが出来る。しかし仲が悪ければ、それぞれが、それぞれに敗れる。お前達は是を心に銘じて、忘れることないように。」と。

次男の隆景は進んで言うに、

 「そもそも兄弟が争うのは、おのれの慾によって起こることであり、慾を捨てて義をまっとうすれば、どうして不和になることがありますか。」と。

元就は此の言葉に喜び、「その通りだ」と。他の子供達も「まさに次男の言葉に従うべきだ。」といった。


 かつて寧静子と言う者が言うに、

 「ある詞の中の言葉に、"騒乱が止めば、最早世の中は安らかでかつ落ち着く、このときに兄弟が有ったとしても、ともに生きるようなむつまじさにはならない"とある。たしかに兄弟の情というものは、互いの危機を救い合うことは難しくないが、平和に世がおさまっているときは、助け合うのが難しい」と。


 果たして、よく毛利元就親子の言葉に従えば、どうして睦まじく兄弟の情をまっとうすることができなかろうか。



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