池大雅(いけのたいが)と富士山


池 大雅  享保8年5月4日(1723年6月6日) - 安永5年4月13日(1776年5月30日))

日本の江戸時代の文人画家、書家。




名家小体文範 渡辺碩也編纂  明治19年出版の和本より

池大雅 富士山についてのエピソード



 池貸成(いけのかせい)、名は無名(ありな)。

 その人となりは外見にはおおざっぱであるが、内面は実は品行のおさまった人物である。遠近の人々はみな大雅堂と言ってよびなしていた。平安(京都)に生まれる。

 幼い頃から才能が抜きん出ており、文を学び、書を学んで、出来ないということがなかった。とくに絵を描くことに優れていて、山水の図が最も卓越している。

 名山に登り楽しむことを好んで、はなはだ健脚であり、高く険しいところや奥深い山の中でも、行き尽くさないということは無かった。そして直ちに筆を取ることによって、絵に趣をなす。

 しばしば富士山にのぼり、毎回その道を変えて、富士図を百枚程も作った。おのおのその姿や状態に違いがあり、全て自ら観察を経たところである。これは古今の絵描き達には未だ及ばぬ行動である。


 妻の玉蘭の姓は徳山、心落ち着き安らかで飾らず、良く夫の行いを支え、また絵も良く書いて名も知られている。しかしこの二人は子供が生まれず、家は断絶した。


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