「人面瘡」 伽婢子 浅井了意

寛文六年(江戸1661年)の刊行。全六十八話の怪談集


 昔、山城の国(今の京都南部)の小椋(おぐら)と言うところの農民が、長い間体を壊した。

 その病は、あるときは悪寒(さむけ)を生じて、時には発熱して瘧(おこり、今のマラリアなど)のような症状であり、又あるときは、全身がうずきひりひりと痛んで、通風のようでもあった。

 いろいろの治療を施したが、どれも効果があるものは無く、半年もそのようにして経った後に、左の股(また)の上にできものができた。その形はさながら人の顔のように、目と口を持って鼻と耳は無い。


 これができてからは、他の病の症状は消えたものの、ただこのできものが痛むことがはなはだしい。ためしに、このできものの口へ酒を入れてみれば、できものの顔が赤くなる。餅や飯を入れれば、まるで人が食べるように口を動かして、飲み下す。食べ物を与えれば、その間は体の痛みが止んで苦しみがやわらぎ、食べさせないときは、再び非常に痛む。

 

病人はこの為に痩せ疲れ、体の肉がいたんで、衰弱して骨と皮ばかりになってしまい、もう死ぬことは間近に見えた。多くの土地の医者はこれを聞き伝えて、集まって治療をし、内科外科も含めて、みんなその医術をつくしてもやはり効果がない。


 ここに、諸国を修行の旅に出ている僧が通りかかり、農人の家に来て話す。

 「この、できものは世の中に稀(まれ)なものである。一旦この病気をおこした者は、必ず、死ななかったということはない。しかしながら、とある一つの方法を用いてみれば、癒えることもある。」と。

 農民の男は、

 「この病さえ癒えるのであれば、例え私が持っている田畑を売りつくしてしまっても、何もおしいことはありません。」と言う。


 そして男は、田畑を売りに出して、その金を僧に渡す。僧はそれで、もろもろの薬の材料を買い集め、金、石、土からはじめて、草、木と一種類づつ順番にできものの口へ入れて見たところ、できものはこれを皆のんだ。


 さらに貝母(ばいも)という草を、できものの近くに寄せると、そのできものは眉をちぢめて口をふさいで食べない。

 僧はやがて、貝母を粉にして、できものの口を押し開き、葦(あし)でできた筒を使って、口の中に吹き入れると、それから十七日以内にそのできものはかさぶたを作って治った。世の中に広まる、人面瘡(じんめんそう)とはこの事である。


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