「旅順没落の新年の年賀状」 乃木 希典

 「書簡文講和及び文範」昭和12年12月発行より

 日露戦争は、1904年(明治37年)2月8日開戦から1905年(明治38年)9月5日終戦




 「新年の御慶芽出度申納候。然れば久々御無音に打過候処、実は弾丸と人命と時日の多数を消費しつつ埒明き不申候為、唯唯苦悶慙愧の外無之候。漸く須将軍も、根気負けの気味にて開城致しくれ、当方面の一段落を得候。無知無策の腕力戦は、上に対し下に対し、今更ながら恐縮千万に候。

 愚息等戦死の際は、特に御懇情被下候由、多謝の至りに御座候、御礼申上候。

 先は久々御無音の謝罪旁、例の冗言迄、不悪御一読奉願候。恐々頓首。

   三十八年一月四日                希  典拝 」



 新年のお慶(よろこ)びをめでたく申し納め致します。さて、長々とおとづれもせず打ち過ごしていたところ、実は弾丸と人命と時日の多数を消費しつつ、埒が明けることなく居りましたので、ただただ苦悶と後悔の外は何もなくございます。ようやくス将軍(恐らくロシア軍側の司令官ステッセル)も、根気負けの気味で開城を致してくれ、とう方面は一段落を迎え得ました。無知無策の腕力戦は、上の者に対し下に対し、今更ながら恐縮の限りでございます。

 息子が戦死の際には、特にご懇意を下されたとのこと、感謝の至りにございます、お礼申し上げます。

 まずは長々とおとづれもせぬお詫びかたがた、例の冗言(じょうげん、むだ口、自分の言葉の謙遜)とまでに、あしからずご一読をお願い申し上げます。恐々頓首(手紙の末尾に良く使う言葉。敬具などと同じ)






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