「天明の災変」 その1 鈴木正長

明治26年4月8日出版  国文 中学読本 二の巻上より



 人たるもの、一生の間に身の憂いとすることは多いと言うとも、その中に飢饉をもって第一とする。これを超える難みはない。

 昔から、たびたび起こった事では有るが、この事へ用心をして飢饉に備えるべきである。食べ物のたくわえを、かねてから設けておくべきである。

 しかしながら、心なき人(不注意な人)が多いものであるので、この一大事をうわの空のことのように思って、昔から起こることではあるのに、今はもう起こるまじき事のように心得ちがって、その用心を忘れて、農業をおこたり、食べ物のたくわえさえも、さまで気にかけることがない。

 凶作や飢饉となろう時には、なんとしてでも命をつないで、いかにしてでも親兄弟を飢えさせずに、妻子をも育む様にすべきである。食べ物が無くては、他に命を保つべき方法がないので、かねてから凶作の年に備える事が、第一であると知るべきである。

 不作で飢饉があった年数を計ってみると、近いものではここ三、四十年の間の事である。そうであれば、いつ来るべきかも計りがたいので、この事を恐れ憂いて、かりにも忘れるべきではない。

 卯年(天明3年)の飢饉は、前年の冬が非常に暖かくて菜の花が咲きそろい、春のようであった。また時に似合わない雷雨がたびたびあった。卯の春となってからは、寒気がはなはだしく、田植えの時期になったのだけれども、残りの寒さがなお去らなかった。人は皆綿入れを着て、火に中っていたほどで有るので、穀物の値段が大いに上がった。

 7月(陰暦、現在の暦とずれます)になったころ、雨に混じって天が砂を降らし、風につれて白毛のようなものが飛び来たった。さらに大地の震える音が、夜も昼も聞えていた。

 これは信濃の国浅間山(長野県浅間山)が焼け出だした火の勢いが、とどろき響くのであった。

 山の上の煙は空を覆って、電光がおびただしく、雷の厳しく鳴りはためいて、2,3里の間(8~12km程)は暗闇となって泥土を降らし、火の石を飛ばして、震動と雷電がいよいよ強くなって、ついには浅間山が崩れて、洪水を起こし、焼け石や泥土を押し流した。

 この勢いの恐ろしさは、たとえて言おう方法もなく、言語に絶えた事であった。


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